仕事に愛着なんかいらねーぜっていう話。
今日は久しぶりに残業ナシで帰宅できた~。うふふ。
最近異動があって、これまでとは担当する仕事の質がだいぶ変わっている。
仕事の内容ももちろん変わっているんだけど、それ以上に、自分ひとりで仕事をする状態からチームを動かす立場になったってことが大きいのよね。
これまでは、おりてきた仕事に対して、自分のペースでスケジュールを立ててタスクをこなしていればよかった。
それだって忙しかったけど、遅れても自分のせいだし、今日は終わり!って自分判断で切り上げることもできる。その尻拭いをするのも自分なんだし、自由で気楽なもんよね。
今は、お客様的にも社内的にも、今までより気を配るべきところがかなり増えて、今までのようなお気楽ペースでは仕事が出来てない。
んで今回、人に動いてもらわないといけないポジションになって思ったのが、仕事に愛着なんていらねーなってこと。そういう話をこれからします。
あっ、いや、と言っても、いい意味でだよ。
仕事に愛着がないっていうと、「適当に手ぇ抜いて楽しちまえ」「会社の利益とかどうでもいいし」的な、いわゆる「やる気ない人」を想像すると思う。私もぱっと聞いたらそう思うしな。
でも今言いたいのはそういう後ろ向きな意見じゃなくて。
「いい意味で愛着がない」っていうのは、「執着しない」って表現した方がいいだろうか。
変なこだわりがないというか。
「神は細部に宿る」と言うし、すごいイノベーションって誰かのこだわりから生まれるものだ。だからこだわりがあること自体は素晴らしいんだけど。
ともすればそういうこだわりって、自己満足というか我が強くなりすぎて、仕事本来の目的=「お金払ってくれる人に満足してもらうこと」を見失ってしまうことがある。
そういうのって、こだわりの対象が「仕事そのもの」じゃなくて、「自分」に向いちゃってる状態なのよね。
だから、いい意味で仕事に執着しないってことは、そういう自己満足をとっぱらって取り組めるようになるってことで、まわりまわって健全な結果をもたらすと思うんだよな。
今までは、1つのプロジェクトを1人で回すことが多かったこともあり、こだわりは強い方だった。
でも私の場合、それって不健全な方にいっちゃうことが多かったんだよね。
「これは大事だから、じっくり時間をかけてやらないとな!」なーんて思っているうちにその時間がなくなって、締切ギリギリに雑な仕上がりで提出してしまったり。
社内にあるスキルに長けている人がいたとして、その人に頼んだ方がいいと思いつつも、「自分の仕事は自分で責任を持たないとな!」とか無駄に張り切っちゃって自分でやろうとしたり。
ま、単純に私が仕事できないだけっていう説もあるが、それはこの際無視だ。
そういう時って、「仕事を仕上げる」ことよりも、「“自分が”成果をあげたい」って、そっちに意識がいっちゃっているんだよな。
自分自分自分。自分への偏愛に侵されている。
そんで、「仕事の成果=自分の価値」ってなってしまっているのよね。
それって、一生懸命仕事しているように見えて、本末転倒なんだよね~。
しかも、その最中は自分でもそういう状態になってることが分からないから、なおさら性質が悪い。
「頑張ってる自分偉いわ~偉すぎるわ~」ってなっちゃうんだよなー。
ああ恥ずかしい。そんなのぜんぜん偉くないよ!ばかばか、みや.coのばかっ!!
ふう。
でも今回、人に仕事をお願いして動いてもらう立場になって、そういう偏った心から少し離れられたような気がする。
「チームがうまく機能するにはどうしたらいいのかな~」ってことを、リーダーとしては超新米ながらも考えていたら、「自分が自分が」っていう執着の気持ちが薄れてきた。
いや、毎日が忙しすぎてそういう計算をする余裕がなくなっただけかもしれんけど。
でも少なくとも、前より忙しいけども、前より健全な気持ちで仕事が出来てる気がするよ。
こうやってバランスというものを学んでいくのかなあ。
ううむ。まだまだ道の途中よの~。
年くっても気持ちは永遠の若輩者ですわあ。あはん。
読書のペースが悩ましいっていう話。
今日は仕事帰りに図書館に立ち寄り。
延滞していた本を返すために行ったのだけど、また新たに3冊借りてしまった。
いつもいつも「今度こそ延滞しないぞ、そのために読みきれる量だけ借りるのじゃ!」という気持ちで行くんだけども、本棚の間をふらつくと、あれもこれも読みたくなる気持ちがムクムクしてダメなんだな~。
と言っても、たかが3冊。
2週間で3冊なんて、読むひとからすれば屁みたいな速度かもしれないが、今のところ私にとってはこれでも精一杯なペース。
じっくり一文一文を味わいたいと思うと、どうしてもノロノロしちゃうんだよな~。
だいたいの話の筋は把握していても、文章の面白さをちゃんと味わえてない気がして何度も同じところを読んだりしてしまう。
話の面白さはもちろん、言葉遣いの妙みたいなものも楽しみたいからこうなるんだな。
言葉のチョイスとか文章運びが面白い人の本を、ニヤニヤしながらじっくり読むのが好き。好き好き大好き。
うえ~こんな言い回ししますか!とか、すっげえな~こんな惹きつける文どうやったら思いついちゃうの、とか、興奮で鼻息フガフガしながら読むのは至福なり。
だがしかし同時に、この読み方は結構体力を使う。単純に話を楽しむのに加えて、勉強しているような意識だから。ゆえに、疲れているとなかなかページをめくる手が進まない。
通勤時がメインの読書タイムなんだけど、そういう時は本を開くことすら億劫になっちゃうのだ。
ストーリーだけをざっくり追うなら、もっと早く気軽に読めると思うのやが、なんともはや。
それに、言葉の魅力を楽しむのは大好きなんだけど、もっとたくさんいろんな本を読みたいなあという気持ちもあり。
世界には私が知らない面白い本が溢れるほどあって、でも私が死ぬまでに読める本の数は限られてて、てかもう三十路だし、老眼っていつごろくるのかしら、老眼になったら本読むの辛くなるのかしらとか思うと、1冊にこんなに時間を使ってていいのかなという気もしてくる。
う~む悩ましい。てか、残された時間を考えると時々ぞっとしますわよね。三十路ビギナーとしては。
あ~あ、世界の面白い本ぜんぶ知りたいな~。精神と時の部屋ほんとにどっかに存在してね~かな~。
あっいけね、悩ましすぎて妄想が壮大になっちまったぜ。
とりあえず今回はちゃんと期限通りに返せるようにがんばるんだぜ。むっほっほ。